翌日の朝。
香菜は目を覚ますと学校に行く支度をする。
制服に着替えて胸のリボンを結ぶ。
香菜の顔にはもう迷いはなかった。
朝食を食べて家を出る。
都と待ち合わせをしている駅へと向かって一人で歩いていた。
香菜の家は駅まで歩いて約20分の距離。
冬の寒い空気を感じながら香菜は歩いていた。
昨日都と話して、一晩考えて香菜は覚悟を決めた。
やっぱり私は先生が好きだ。
佐々木君には申し訳ないけど告白は断ろうと、今は他の人とは付き合えないとそう思ったのだ。

駅に着いて都の姿が見えると手を振る。
それに気付いた都も手を振り返してくれた。


「おはよう」


いつものやり取りをして都に佐々木君のことは断ろうと思うと伝えると都は笑って、


「もったいなーい」


と、冗談っぽく言ってきた。


「でも、香菜が決めたことならいいと思うよ」


都らしい明るい笑顔でそう言ってくれた。
都にそう言ってもらえたことで少し背中を押してもらえた気がして香菜も自然と笑顔が浮かぶ。


「佐々木君になんて言おう…」


香菜は浮かんだ笑顔を不安そうな表情に変えて少し俯く。
唯一の不安要素はそれだ。
佐々木君の悲しそうな顔は見たくないと思うと香菜は自然と憂鬱になる。
そんな香菜の顔を都は覗き込んできた。


「いいじゃん。今の気持ちを言えば。佐々木君だってきっと分かってくれるよ」


都は香菜の肩を優しく叩いた。
都の言葉は魔法みたいだ。都の言葉を聞くと自然と元気になって勇気が沸いてくる。


「ありがとう、都」


香菜は笑顔で微笑んだ。











2限のあとの少し長い休み時間。
香菜はA組の入り口の前でそわそわしていた。
佐々木君を呼び出そうとするが、佐々木君は窓側で友達と楽しそうに話していてこちらに気づいていない。
A組にも友達はいるが教室にいないか、いても気づいてくれない。

どうしよう。入ってく勇気は…ない。

他のクラスに入って行くのは気まずいし、しかも佐々木君の所に行って、


「話したいんだ」


なんて言ったら注目の的である。
香菜ははぁと溜息をつく。
昼休みに出直そうかなと思い始めたころに上から低い声が降って来た。


「竹内さんじゃん。どうしたの?」


香菜は声のした方を見上げると、ちゃらちゃらした雰囲気を醸し出している林田君が立っていた。
よく名前を聞くが『女癖が悪い』だとか『先生に呼び出された』とかそういう事ばかりで。
話したことはないけど香菜は苦手意識を感じていた。
思わず一歩後ずさる。
すると入り口の傍に座っていた男子が笑いながら林田君に言う。


「林田ー!竹内さんがびびってんじゃん!!いじめてんじゃねーよ」

「ああ!?いじめてねーし」


香菜に話しかけてきた声とは違い、大きな声で男子に言い返した林田君に香菜は顔を引きつらせる。
やっぱりちょっと怖いかも。
もう香菜の中にあった少しの勇気は萎えていた。


「あの、なんでもないんで…」


また出直します。と俯きながら思わず敬語で言いそうになった香菜の言葉は遮られた。


「竹内さん!?」


その声に香菜は涙目になりかけている顔を上げた。


「林田、ちょっとごめん」


佐々木君が騒ぎに気づいて駆けつけてきてくれたらしい。
林田君の脇を通り抜けて香菜の前にきた。


「どうしたの?」


優しい笑顔に優しい少し低い声。
香菜はそんな佐々木君に安心感を覚えて、強張っていた表情も緩んだ。

「あのね、佐々木君に用事があって…」


香菜の言葉に佐々木君はピンと来たのか香菜の腕を掴んで笑顔を向ける。


「行こう?」


香菜は返事の代わりに頷いた。
そして2人は教室をあとにする。
残された林田君たちは意外な組み合わせに呆然としていた。



歩きながら香菜は佐々木君に掴まれた腕を見た。
女の子とは違う筋張った男らしい大きな手。
香菜は力強い手とそこから伝わる熱に少しどきっとする。


「佐々木君…あの、手…」

「あ、ごめんっ」


佐々木君は慌てて手を離して少し赤くなっていた。
香菜はくすりと笑う。
佐々木君は頭を掻きながら気まずそうに言った。


「どうしよっか?」


香菜はきょとんと佐々木君を見る。


「時間ないし屋上でいい?」


香菜はああと気がついたように頷く。
それを見て佐々木君は階段を上っていく。そのあとを香菜はついて行く。
先生の背中よりも少し幼い感じのする大きな背中。
香菜はそれを見つめながら少し複雑な想いになる。
私はこれからこの人の想いを裏切るんだ。
そう思うと気が重くなる。
階段を上り終えて屋上に続く扉を佐々木君が開けてくれる。
香菜は佐々木君にお礼を言った。
屋上には誰もいなくて澄んだ冬の青空が広がっていた。
香菜と佐々木君は少し進むと立ち止まって向かい合う。
佐々木君と目が合うが逸らすように香菜は少し俯いてしまう。


「昨日の返事をしようと思って」


香菜は勇気を出して佐々木君と目を合わせる。
佐々木君の瞳は優しいけれど真剣な色をしていた。
香菜は覚悟を決めて口を開いた。


「まずね、私は佐々木君に謝らなくちゃいけない」

「え…」


「好きな人は『いない』って言ったけど、本当はいるの」


佐々木君は少し驚いたような困惑したような表情をする。
それに香菜は申し訳ない気持ちになった。


「私、嘘ついた。ごめんなさい」


佐々木君は何も言わない。
嘘をついた香菜を詰ることも貶すこともしない。
ただ香菜を真摯な瞳で見つめていた。
香菜は佐々木君から目を逸らしてフェンスの先のグラウンドを見る。


「私ね、昨日まで迷ってたの。このまま好きでいていいのかなって」


佐々木君は目を逸らした香菜の話しに耳を傾ける。
香菜は誰かに話すというよりもひとり言のように続ける。


「このまま想っていても報われないのは分かっているし、叶わない恋だって分かってる」


香菜は切なそうに笑った。
そして佐々木君と向き合う。


「でもね、私はその人が好きなの。忘れるなんて今はできない。それなのに佐々木君と付き合うことは佐々木君に失礼だから」


香菜は辛そうな表情を浮かべているけれど言葉は力強かった。


「だから…ごめんなさい」


香菜は軽く頭を下げて申し訳なさそうに謝った。
少しして香菜は恐る恐る顔を上げて佐々木君の表情を伺う。しかし佐々木君の表情は香菜の予想していたものとは違っていた。
佐々木君は香菜を見て優しく微笑んでいて。
香菜は少し不思議に思った。


「竹内さんの気持ちは分かった。だけど、もし俺がそれでもいいって言ったら?」

「え…?」


佐々木君の意外な言葉に香菜は耳を疑う。


「竹内さんの好きな人が誰かは知らない。だけど、辛い恋なんでしょ?どんなに想っても報われないんでしょ?」


佐々木君はゆっくり言葉を選ぶように話す。
それを聞いた香菜は寂しそうに笑った。
そんな顔をする香菜を見て佐々木君は香菜を優しく抱きしめる。


「俺は竹内さんのそんな顔は見たくない」


佐々木君の辛そうな声が近くで聞こえてきて香菜の黒い瞳が揺れる。
優しくしないでと思う気持ちとその優しさに縋りついてしまいそうな自分がいる。


「だったら、今はその人の代わりでもいい。いつか俺を好きになってくれればいいから」


佐々木君の腕の力が強まる。佐々木君の気持ちが伝わってきて香菜の瞳から涙が流れた。

どうしてそんなにわたしを想ってくれるの?


「でも、それは卑怯だよ。佐々木君にはもっといい人が…」

「俺は竹内さんがいいんだよ」


佐々木君はそう言って香菜から体を離してそう言った。
香菜の流す涙を佐々木君が優しく指で拭う。


「…優しくしないで」


香菜は弱々しく言う。


「優しくするよ。俺は竹内さんが…香菜が好きだから」


香菜はそっと佐々木君を見上げる。
佐々木君は優しく笑った。


「とりあえずさ、ここに遊園地の優待券が2枚あるんだ」


佐々木君は学ランのポケットから2枚の紙を取り出した。
そしてにっこりと笑う。


「これの使用期限が今週末までなんだよね」


1枚を香菜に渡す。香菜は困惑した表情でそれを見つめる。


「俺たちまだちゃんとお互いのこと知らない部分もあるし、香菜にもっと俺のこと知ってもらいたいし。一緒に行こう?」


香菜は優しい笑顔を浮かべて誘ってくる佐々木君に笑みを浮かべる。
そしてチケットを受け取った。


「土曜日でいい?」


佐々木君は満足そうに笑って言った。
香菜は頷いたのを確認した佐々木君は学ランのポケットから携帯電話を取り出した。


「そろそろ授業始まっちゃうし、メアド教えてくれる?」


そう言われて香菜は慌てて携帯電話を取り出した。
そして赤外線通信でメールアドレスを交換する。


「香菜のメアド、ゲットー」


佐々木君は嬉しそうに顔の横に携帯を翳して冗談ぽく言った。
そんな佐々木君が可愛くて香菜は笑った。
やっと笑ってくれた香菜に佐々木君は更に嬉しそうに笑った。












---コメント---
第8話〜。
佐々木君の愛は大きいです。




2010.12.24

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