「竹内香菜」

「はい」


厳かな空気の中、香菜は一歩足を踏み出した。
校長の前で一礼する。


「卒業おめでとう」


その一言と同時に差しだされた卒業証書。
香菜は少し笑みを浮かべた。


「ありがとうございます」


そして、もう一礼して振り返る。
舞台から階段を一段一段ゆっくりと降りて行く。
都と目が合った。ウィンクをしてきたので香菜は軽く笑みを浮かべた。

今日で高校生活が終わる。
そして始まる、新しい生活。
それぞれ違う道を歩みゆく生徒たちに校長からの送る言葉と在校生からの卒業生への応援の言葉。
香菜は卒業式の度に自分は泣かないと思うが、空気に流されるのか毎回予測が外れる。
高校生活はたったの3年間。
けれども、都に出会ったり、恋をしたり、失恋したり。
勉強以外にも多くを学んだし、そして多くの人たちと出会った。
それらが走馬灯のように香菜の脳裏に浮かんでは消えて、涙に変わっていく。

最後に止めを刺したのは担任からの最後の言葉だ。
40代後半の化学教師、前橋健介。
いつも白衣を羽織っていて、白衣の中身はくたびれたスーツを着ている。
そして、普段の恰好からも分かるように性格はやる気があるのかないのか、のらりくらりとした教師だった。
そんな彼も今日ばかりは仕立てのいいスーツを着用していたが、卒業式の緊張感がいかにも漂っていない。


「えー、今日は卒業式だな」


そんな一言から始まるが、なんとも緊張感がなく、生徒たちからにわかに笑い声が囁かれた。


「高校生活は終わるが、お前たちの人生はまだまだこれからだ。大学生活が始まる者、就職する者それぞれだ。
だがな、それでも始まりはみんなここからだ。この教室、この今の瞬間から新たな生活が始まる。
辛いこと悲しいことこれからたくさんあるだろう。それと同時に嬉しいこと楽しいこともある。
後者に目を向けられる人間になれ。そうすれば人生は嬉しいこと楽しいことが中心に回るようになる。
俺からは以上だ。たまには顔見せろよ」


そう相変わらずやる気のない話し方だったが前橋先生らしくない言葉だった。
気がつけば生徒たちは笑うことを止めて真剣な表情で前橋先生を見ていた。
こうして香菜たちの高校生活は終わった。


賑やかな廊下を香菜と都は並んで歩いた。
もう生徒として歩くことのない廊下を。
下駄箱に着き、上履きを脱いで袋に詰める。そして、ローファーを取ろうとして香菜はあ…と声を上げた。


「どうした?」


都が香菜の下駄箱に目を向けると手紙がローファーの上に置いてあった。
白い紙を2つに折りたたんだだけのものだ。
香菜はその手紙を手に取った。
『卒業式後に裏庭で』
それだけが書いてあった。


「この字…」


香菜も都も見覚えのある字だった。
その字は黒板やノートに書かれていた。
香菜と都が顔を見合わせる。


「香菜!都!」


A組の男子と共に佐々木君が2人に手を振っていた。


「卒業おめでとう」

「佐々木君も」


都と佐々木君がハイタッチをした。
意外と気の合う二人だ。
佐々木君が香菜に目を向けた。


「なにそれ?」

「恋文」

「都!」


都が悪戯っぽく言うものだから、香菜は思わず声を上げた。
そんな香菜に都は声を上げて笑った。


「行くの?」

「う…ん」


あれから、先生に想いを伝えてから、2人で会うのは初めてだ。
気まずい思いを残して卒業するのは気が引けたし、すっきりして卒業したい。


「待ってたら悪いし」

「よし!行って来い!」


都が香菜の背中を軽く叩いた。
香菜は都と佐々木君に手を振って走って行った。


「ミスドで待ってるから!終わったらメール!」


都の声に香菜は分かったー!と手を振った。
佐々木君はぽつりと声を上げた。


「『待ってたら悪いし』で行っちゃうの?」

「キミの時もあんな感じだったよ」

「え…」


なんとも言えない顔で都を見る佐々木君に都は笑った。





香菜は不安な思いで裏庭へ向かう。
先生はどういうつもりなんだろう。
何を言うつもりなんだろう。
重い足取りで裏庭に着くと、ベンチに腰掛けている先生がいた。


「先生」


香菜の声に反応して先生はこちらを見た。


「おう」


先生は立ち上がって香菜に向かい合う。


「卒業おめでとう」

「ありがとう…ございます」


先生の瞳が見れなくて香菜はふと逸らした。
そんな香菜に先生はふと笑った。


「あれから思いっきり避けてくれたな」

「そんなこと…ありますけど…。でも、普通になんてできません。フラれたのに…」


香菜は泣きそうになった。なぜだろう。
責められているのに、そんな風に思わせない柔らかい話し方のせいだろうか。


「フラれた?そうだな」


そうして少しの間会話が途切れた。
先生と最後に話してから数カ月が経ち、まだ暖かいとは言えないがだいぶ寒さの和らいだ風を感じる。


「だが、俺はふったつもりなんてなかったんだがな」


ぼそっと先生が呟いた。
香菜は耳を疑う。


「だって、『教師だから』って」

「あのな、人の話を最後まで聞かないで、勝手に解釈しやがって」


香菜の黒い瞳が困惑に揺れた。
あの時先生は確かに『教師だから』と言ったじゃないか。


「『竹内、気持ちは嬉しい。でも、俺は教師だから。だから、卒業まで待ってくれないか?』って言おうとしたんだ。俺は」

「え、だって、何も言わなかった」

「この一言がずるいと思ったんだ。待ってろなんてずるいだろ。お前を言葉で縛ることになると思った。だから、今日まで言わなかったんだ」


香菜は先生の真剣な瞳に目を逸らすことが出来なかった。
香菜の胸が高鳴る。


「竹内とはちゃんとした形でつき合いたいと思ったんだ。在学中から付き合ったら、世間的には許されることじゃない。
竹内にだって秘密を抱えさせることになるんだ。だから、卒業まで待つって決めてたのに。
お前ったら、『ぽろっと言っちゃいました』みたいな顔して告白してきたと思ったら、逃げて、最終的には避けるだろ」


香菜はかぁぁと顔を赤くした。
そんな香菜を見て悪戯っぽく笑った。


「今日竹内を呼び出すのにどれだけ恐怖を覚えたか分かるか?」


今にも泣き出しそうな香菜の頭に触れた。


「竹内、好きだよ」


その一言に香菜は涙を流した。
あの時とは違う嬉しい時に流れる涙だ。


「私も…」


こうして始まった新しい恋。
ゆっくりゆっくり育てていこう。

そうandanteのように。




…To be continued…?













---コメント---
終わりました。
あとがきはDiaryにて




2012.9.21

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